Essay 2011

Birthday
Birthday

Happy Birthdayわ・た・し

 

今年のお誕生日は今までになく、いや、数年ぶりに沢山の人達に祝ってもらった。誕生日というのは不思議なもので、幾つになっても当日はウキウキ・ワクワクする。その気持ちの中には「あ~、又ひとつ!」というため息交じりの感情もあるけれど、私の場合は重ねていく年齢を嘆くよりもやはり「よくぞ、ここまで!」というプラス面の感情の方が強い。

それでも毎年毎年、お肌のハリは失われ小じわも増えていくけれど・・・それも仕方がない。全ての人が経験するものだし、今後もどんどん衰えていくのを避けられないのだから。

それでも私はもう少し「楽しく」生きてみたいなあ・・・。もうちょっとだけ、自分の可動範囲を広げてみたい。そう、今よりほんの少し心から笑ってみたい。

私の望みはそれほど小さな事なのに、又しても「えっ?!」事件が起きてしまった。まったくいつまでこんなイヤな思いをさせられるのだろう・・・。いつになったら私に「この仕事を選んで幸せだ!」と言わせてくれるのだろう・・。きっと「この仕事」を辞めるまで続く。私がHulaと縁を切るまでずっと続く・・・。これも、それも人間という悲しい生き物に心があるから起こる事。そして心があるからこそ生きているし、誰かを想える。もう悲しむのは止めよう。自分のせいにするのは止めよう。だって私には沢山の私を想ってくれる人がいるから、私を憎む人の数より多く愛してくれている人がいるから・・。その人達の為に踊っていこう。

 

今年の誕生日に、YOKOがくれたバースデイカード・・「先生がこの世に生まれてきてくださったことに感謝の気持ちを込めておめでとうございます」と書かれてあった。私はこんなにもストレートに私の存在を認め、私そのものを受け入れてくれた言葉を初めてもらった。涙がポタポタと落ちた。私が生まれてきた事に感謝!してくれる人がいるなんて!!Hulaを捨てる事は自分を捨てること。そして私のHulaを愛してくれる人達をも捨てる事・・、そんな事は私にはできない。だからどんなに傷つけられても又踊っていくんだと思う。

来年もその次の年も、そのまた次の年も誰かに「生まれてきてくれてありがとう」と言われたい。そしてたくさんの人達の為に踊り続けていきたい。

もう一度私から私へ「Happy Birthday」イヤな事はもう忘れてしまいな、わ・た・し。

 

 

 

第一回Hulayoga
第一回Hulayoga

初心、忘れちゃっていた・・

 

東京から車で2時間ほど移動すると、私の好きな海と山に囲まれた街がある。理想ではその場所と今の東京の生活とを月に半々で過ごせたらな・・なんて思っていて、いつかそうしようかという夢もある。

その街にはもう1年ほど通っていて、だいぶ知り合いも増えてきた。私が<フラの先生>をやっているのであちらだけの<生徒さん>も増えてきた。毎週教えてほしいとか、その街でスタジオを起こしてほしいとか有り難い言葉ももらうけれど、今はマイペースでのんきにやらせてもらっている。「私の好きな時間に、好きな人達に、好きな場所で!」なんて贅沢なんだろう。

 

そんな中、地域のヨガサークルで知り合い、代表の加藤先生が立ち上げた<海泉美人>という団体の「スペシャル講師」に登録させてもらったのが去年の10月。先日その<海泉美人>主催で初めてのフラとヨガのコラボレッスンを行った。とは言っても時間も自分の準備も足りなくて、参加してくれた方々には「満足」のいく内容であったかは?状態。ただ、鏡越しに垣間見たメンバー達の顔はみなさん楽しそうで、ニコニコ笑いながら踊っていたのが救いであり、励みになり、私も久しぶりに楽しく教えられた。

思うにここ数年はまるっきりの初心者のグループに教えていない。私が普段向き合っているクラスはもう何年かフラを習っている経験者達だし、たまにその中に「初めてです」という人が体験で入ってもとても丁寧には対処できず、「流れ」に任せてしまっていた。

そして、自分の中でもフラを教えるという新鮮さが足りなかったとこのフラヨガコラボレッスンで今更気づかされた。東京での生徒も馴れ合い、私も馴れ合いのフラ、それは決して楽しいものではない。だからいちいち生徒の態度に敏感に反応し、自分の発した言葉で自分を苦しめる。そして「教えたくない、止めたい」の悪循環。それって全部お互いがフラに出会った時のときめきや幸福感を忘れてしまっているからでしょ・・と思う。少なくてもこの数年の私はそうだった。フラが楽しくなくなるのはすべて私の考え方ひとつ。

先日のまったくフラを知らない人達に「フラはこういう踊りなの」と説明して、一緒に踊って、まさにそこにいる人達と「フラを共有」して、私は思い知った。わたし、初心を忘れ去ってた!フラはこんなにも人の心をほのぼのさせるものだと、すっかり忘れてしまっていた。そしてレッスン終了後のみんなの笑顔!私はこの笑顔が見たくて教えていたはずなのに・・。その笑顔に感動して教え始めたはずなのに・・・。

ねえ、私も「初めてフラ」のワクワクを「初めてティーチ」のドキドキを思い出して又進んでいくからみんなも思い出してほしい。初めて私と会った日の事・・、初めてkaholoを習った日の事を・・。そうしたら私達もっと仲良くなれるよ、きっと!!

 

こんな風に私の心を溶かし始めるきっかけを与えてくれた<海泉美人>のメンバー達にmahalo again !!

あそこに参加してくれた7名のキラキラの笑顔があったから、私<初心>を思い出せた。そしてもう少し頑張れる勇気を貰っちゃった。

私が元気に楽しく教えられれば、みんなも楽しく踊れるね! 年頭にBlogに書いた「手を繋ごう!」はこんな意味もあったんだなあ・・。

 

こちらの記事もどうぞ→加藤先生のBlog

 

Tiare
Tiare

携帯Mailでさようなら

 

何十年もこの仕事をしていると、新しい出会いと同じだけの別れも経験する。先生と生徒という立場から「言いたいこと」を抑え、「言わなくてもいい事」をあえて口にし、人間同士の繋がりは持たないようにする。だからずいぶんとお互いの勘違いや思いやりのなさに泣かされるし、相手も泣かしているに違いない。

ただ単純に「フラを教え」「フラを共有する」だけならどんなに楽しい仕事だろう。現実は中々一筋縄にはゆかない。ここ最近では「相手を想う気持ち」を持っている人が少ない。個人主義・・、良く言えば個がはっきりしている。裏を返せば自分だけ。私自身を振り返っても、かつての失敗を避け、これ以上の心の痛みを持ちたくないあまり 生徒たちには特別な「感情移入」はしないようにしている。その結果、「楽しい」「愉快」「寂しい」「辛い」「悲しい」とかいった心のありさまを見ないようにするので、自分の精神にも悪影響を与えていると思う。

多忙やら生徒達との関わりやら・・、体調不良やら・・ここ数年は実に身辺穏やかではない。最もこれは自分にしか分からない心身の病なので周りの人達には理解しずらいかもしれないね。

みんなは<先生>の言動に右往左往させられる!と言うかもしれないけど、私もみんなの態度や言葉に傷つき、痛みを感じている。お互い様だね。けれど私は<先生>だから逃げ道がない。<生徒>はその点、楽でしょ。最終的に「辞めて」しまえばいい。そして更に自分に合ったスタジオやクムの元へ走ればいい。私には「逃げ場」がない。だから毎日毎日ひたすら本当に言いたい事は仕舞い込んで「1234」を繰り返す。それは自分で選んだ道だから誰のせいでもなく、ただ自分の弱さに自分自身があきれるばかり。

せめて私のスタジオを去る時はface to faceでサヨナラを言われたい。何年も通ってきていきなり携帯mailで「辞めます!」ってどうなの?と思うのは私がyoungではない証拠?

それとも私の存在は「会って話すのにも値しない」という事なのか?

携帯mailだけで辞めていった人達(ハイ、複数いますよ!)はそれできっちり事を収めたと思うのだろうか?

 

辞めていった人達はどうでもいい、今まだ私の元にいる生徒達に「できれば・・」という注釈付きでお願いしたい。辞める時はコソコソ嘘を並べないで「やめま~~す!」って言えば?そしたら私は「は~い、お疲れ様。お元気で~」って言うよ。決して引き留めやしないから安心してね。

 

家族の看病、介護があるといって辞めた人は今「先生」だって!

具合が悪くて通えないと辞めた人も「教えてる」って!

仕事の都合でと辞めた人は他のスタジオで続けているって!

 

ね、いつも親切な誰かが教えてくれるよ(それも余計なお世話と思うけど)

だから嘘ついて辞めなくてもいいの。きちんと「ここを辞めて他へ行きます」とか「私、フラの先生になります」とか言いなさい。本当に私は止めないから・・「どうぞご活躍下さい!」って手を振るからね。しかも私は怖くないよ(笑)「辞めさせるもんか~~!!」って追いかけたりしないって(大笑)

 

私の望みはただひとつ、私の持っているhula、hawaiiのmanaをみんなと分かち合いたいだけ・・。できれば<口答え>はしてほしくないけれど・・ね。しかし、それも「ふつ~」の事ならば我慢しようかな・・って私はまだまだタフだわ。

 

この日本でのフラカルチャーは私が歩んできたハワイのクムとの関わりや、フラシスター達との関係とまるで違うので、今でも錯乱する時がある。

私にとってHulaは命であり、クムはHulaそのもの、つまりHula is my life,Kumu is my life too.

クムがいたからフラを学べ、フラを通してクムに仕える事ができた。私にとってどちらも同じ尊いもの。嘘を並べて関わるものではない。

私には携帯mailで「サヨナラ」を言ってきた人達の心は未来永劫理解できないし、理解しようとも思わない。ただし、「アンタはそんなデキたクムじゃないよ!」と思われてしまった上の行動だとしたら・・・反省の余地もありだわね(苦笑)

 

覚えていてほしいのは・・hulaは「振りを覚えて終わり」ではなく、「振りを教えてもらったらそこに命を吹き込む」ものだよ。命とは心、自分を想い、好きな人、大切な人を想い、その人達と過ごす場所を想う・・大切に、大切に。それが私の求めるhula、伝えていきたいhula・・・。

 

 

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Copy light by Kukunaokala Hula School
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