Essay 2004

milky 2004/2/11永眠
milky 2004/2/11永眠
2004年に思う事     04・5・30

普通こういうタイトルをつける文は新年が始まったら書くのかもしれないけれど、この5ヶ月は今までに無く身辺が多忙で「思う事」は日々あっても「文字」にするという作業ができなかった。<今までに無く>というより、<今まで>がただ平和に過ぎていっただけなのかもしれないが。ここ2,3年スタジオは順調に発展を続け、仕事は忙しいけれどそれなりに悩む事も少なく過ごしてきた。私は心のどこかで「いつかどんでん返しが必ず来る・・」と確信し、それを待っているようなところもあったかもしれない。1番の「どんでん返し」はミルキーの死だった。13年間毎日抱きしめ、語りかけ、一緒に寝ていた子が突然消えてしまった。可愛いままで小さいままで私を置き去りにして消えていなくなってしまった。その事実はとても重く、辛かったけれどその反面心の片隅で安堵に似たものも芽生えた。その感情をうまく表現する事は難しい・・。夜中に具合が悪くて鳴くミルキーを抱いてあやしたり、1日4回の薬・・新鮮な空気、水・・。毎日毎日仕事をしながら世話にあけくれたもんだった。なんだかもう遠い昔の出来事のようだ。ミルキーを恋しがって泣いても、なつかしがってもあの子はもうここにはいない。
ミルキーが逝ってまだ1週間もたたない時に次の「どんでん返し」がやってきた。それは確かに「どんでん返し」だったのだが、なぜか私は平気だった。もうイヤッというほど「人の心」の裏表を知っていたからかなり冷静にやり過ごしたと思う。ただ、その「やり方」は今までになく悪質で私を傷つけた。それでも私は客観的に現実を把握して、「他に言いようがあるだろうに」と思っただけだった。悲しいとか辛いとかよりも「出直そう!」という感情の方が強く、実際にそれからは必死に体を動かし、お稽古に励んだ。<発表会>の事だけを考えて突き進んだと思う。幸い<発表会>が目の前に迫っているその時期はとても忙しく、心に傷ついた部分の痛手は少なかっただろう。今振り返ってみると「その事」は私にとってプラスになっているとさえ思える。これからの生徒との接し方、指導の方法、スタジオ経営など今まで以上にコントロールし、向上させていけるに違いない。
その後の「どんでん返し」は不覚にも自分の身に起きてしまった。あんなに張り切って頑張っていたのに、発表会の1週間前に動けなくなった。病院で点滴がポタリポタリと落ちていく様子を見ながら泣いた。「あと1週間なのに!」最後の最後までみんなのお稽古に関わりたかった。そして最後のお稽古の後に「頑張って!」と言ってあげたかった・・。それなのに私ときたらこんな所で寝てるなんて・・、なんてひどい先生だろう、今頃みんなは・・次から次へと生徒達の顔を思い浮かべては泣いた。映画のシーンのように点滴の針を抜いてお稽古に行こうか・・と何度も考えた。発表会当日、元気な生徒達の顔を見て、リハーサルをみて上げられてよかった。そして無事に会が終わってよかった。今は心からホッとしている。今年に入って始めての「やすらぎ感」でいっぱい。
心ない生徒達によって傷つけられ悲しまされるのも現実だけど、又生徒達によって癒され、幸福感を与えられるのも事実だ。これからも私がこの仕事を続けていく限りまだまだ傷つけられ追い込まれていくのだろう、でもそこには私を愛し、励ましてくれる生徒達もいる。誰がなんと言おうとその生徒達がいる限り進んで行かなければならない。ずっと一緒に手を繋いで歩いていかなければならない、最後の1人になるまでは・・・。
HULAを踊り、教えていく事はそんなにたやすいことでは無い。HULAの周りには<情熱と嫉妬、寛大さと偏屈、喜びと悲しみ、美しさと醜悪>さまざまな感情や形容詞が浮遊し、その人の心の弱い部分にとり憑いてくる。聖人でありえない今、願わくばひとつひとつの醜い感情が浄化され、心穏やかに過ごしていけるよう願い、努力していこうと思う。
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Copy light by Kukunaokala Hula School
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