Essay 2003

Puaimohala Hula Studio
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<My home Makaha>

 

いつもマカハへ行くのは迎えに来てもらったり、レンタカーを借りたりして車に乗って行っていた。この日は何年ぶりかに一人でシティバスに乗り、バスを降りてトコトコ歩いてみた。全然しらなかったけれどバスはルートを変えてあっちこっちに止まり、アラモアナからマカハの先生のお宅まで2時間半もかかった。もう永遠にたどり着かないのではないかと不安になる程の時間だった。けれどその間私は色々な事を思い出し、まだ若かった頃通った道をなつかしく眺めた。不思議なくらいこの20年間マカハで過ごした頃の事がはっきりと思い出される。
マカハへ向かうバスはワイキキやアラモアナ地区を走るバスとは違い見るからに貧しい人々が乗っている。成功し得なかった日系人、フィリピン人、中国系の人やサモア、トンガの血をひくポリネシアン人など、みんな汚れた服で濁った目をボンヤリとさせ疲れてみえる。私は普通のTシャツにパンツだったがそのバスの中では1番キレイな服装をしていたに違いない。ただその中にいても誰も私の事をホテルに泊まっている日本人とは思わないらしくかまわれる事も無かった。日本人観光客も白人もそのバスには乗ってこない。
ダウンタウンを過ぎて、ワイパフ、パールシティを抜けて山沿いを走り、1時間もたつとなつかしい景色が見えてくる。左にコバルトブルーの海、そして真っ青な空。右にはカアラ山脈。バスは1本道をマカハに向かって走る。私はその景色が大好きだ。そこを見なければハワイに帰ってきたという気になれない。コオリナ、ナナクリを過ぎるとやっとワイアナエに入る。もうその辺は<地元>感覚で胸が躍る。「この町で私のフラは生まれた」と感じる一瞬、体中から力が湧き上がってくる。なつかしくて、恋しくて涙が出そうになる。「あそこのポストオフィスで日本に手紙を出したっけ」「ここのドライブインでハンバーガーを買った」「このポーカイベイで泳いだ」「あの教会でフラシスターの結婚式に出たっけ」思い出す事は山ほどあり、全てがつい最近の事のようにはっきりしている。
前にバスで来た時はあった停留所がなくなり、私の乗ったバスは又山の中に入り、グルリと遠回りをしてマカハビーチの先まで進んだ。私はビーチでバスを降り、15分くらい歩いた。行き過ぎる人はなく、車もまばらだ。よくこの道をパレオを巻いただけの姿で歩いたものだ。先生のお宅がある住宅地区に入ると見覚えのある犬達が騒ぎ始める。私は1軒1軒を観察しながらゆっくり歩いた。こんな所でも変わるもんだ、きれいに立て直してあったり、住む人が変わったり。
やっと家に着いてゲートを開け、出迎えに駆け寄ってきたクレオ(先生の飼っている犬)の頭をな、中に入ると私は大きな声で叫んだ。「Mom! I'm Home!!」いつもの様に彼女は返事をしない。私が彼女を探し回って叫ぶのが楽しいらしい。そしていつもの様に私は最後に彼女の寝室を覗き、気づかぬフリでテレビを見ている彼女を発見し、小さな子供のように彼女に飛びつく。


<フラコンペティション後記>

 

3ヶ月以上もたって昨年行われた<キンカメコンペティション>のビデオが送られてきた。コンペが終った直後は虚脱状態が続いていたし、初めから期待もしてなかったはずの<入賞>にも入れず意に反してかなり落ち込んでいた。「もうこの話題には触れまい」と思っていたが、届いたビデオを見て考えが変わった。クプナ、ワヒネとも最高の出来じゃん。(興奮しているので言葉使いの悪い箇所はお許し下さい)
私は内心、「どんなにひどい出来か?」と不安だった。誰かが間違えてたり、何かしでかした所が写っていたら・・と心配だった。ところが、ところが!もう~上出来き!!もちろんカメラワークもあるし、テレビの画面の中なので実際とは異なるかもしれないけれどね。とにかく私の生徒達は最高だった。私はクッションを抱きしめてワナワナ見ていたんだけれど終った瞬間にクッションをテレビに投げつけ「いんちきだっ、ウチが優勝だ!」とわめきだしてしまった。
なんと感動的だったカヒコ、みんなの目がまるでペレが乗り移ったかようにキラキラ光り、もう言葉では表せないくらい良かった。ワヒネ部門は可愛くて躍動的で見ながらウキウキしたし、クプナだって上品でスッキリしてた。くやしい~、あんなにいいのにっ!!どこがいけないんだぁ~。
             ☆☆☆   ☆☆☆   ☆☆☆   ☆☆☆
さてすっきりしたところでまじめなコンペの感想を・・・。まずはっきり解かった事はフラのコンテスト(先のウチの出場したコンペに限る)とは各ハラウのセンスやカラーを出し、技術を競い合うものでは無いという事。アレは80%審査員の好みで賞が決まり残りの20%は<コネ>だと思う。(敗者の戯言かもしれないが)多分3年、4年続けて審査員の好みを取り入れその間にハワイ側とのコネをしっかり結んでいけばそのうち入賞するのだろう・・・そんな気がする。
ま、もういいや・・、終った事だし。でもビデオを見て初出場の感激や緊張を又思い出し、辛かった練習の時を思うと今でも胸が熱くなる。本当にみんな良く頑張った。あのハードなレッスンの日々、寒い体育館で繰り返しやった練習。その成果がビデオで見るとはっきりわかる。他の誰にも分からなくたって私には分かる。他の誰もが「全然ダメ」と言っても私は大声で言ってやる。「出場したみ~~んな、すごく上手!良くやった!!」と。
今後ウチのスタジオがコンテストに再挑戦するか、二度と参加しないかはまだ分からない・・。まだまだ考えるべき事がたくさんあって今は何も言えない。けれどあのコンペは後悔すべきものではなかった。それどころか私達に強い勇気と友情、信頼や情熱など挑戦する者達だけが得られるたくさんの贈り物をしてくれた。私は貴重な体験ができた期間としてあのコンペに感謝している。そして支えてくれたサポーターの応援、出場してくれた全員にもう一度「Mahalo&Aloha」と言いたい。

精一杯頑張った後の打ち上げでみんなから貰った「黄色いバラ」を私は決して忘れない。一輪、一輪を両手で握りしめ、涙でいっぱいになったクシャクシャの顔で一人づつ「ありがとう」と言ってくれた生徒達。私の方こそ本当にありがとう、あなた達は私の誇り、私のフラそのものでした。

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Copy light by Kukunaokala Hula School
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