Essay 2001

tabasa
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タバサ(私の愛犬)の急死からもうすぐひと月がたちます。
あまりに突然の出来事で未だにボンヤリする時間が多く、体のだるさや やる気の無さに生徒さん達には迷惑をかけてすみません。少しずつ又元気になると思いますが・・・

そんな中で先日9日に鴻池さんと二人だけのコンサートを行ないました。実はその日が終わったらしばらくスタジオを閉めようと考えておりました。そのくらい私の受けたショックは大きかったのです。タバサの死は私の不注意から起きた事で、私は毎日毎日自分を責め、泣いてばかりいました。私がちゃんとしていればタバサは今もお気に入りのカウチの上で昼寝をしていたでしょう。そう思うと自分を責める事意外できませんでした。「もう踊れない」という想いに取り付かれました。
「9日が終わったらしばらく休もう」と決めてその日をむかえたのです。

その日は楽屋入りした時から不思議な空気が私を取り巻いているのが感じられました。
もう何百回もステージを踏んでいるのに、初めて感じる空気でした。
リハーサルの時、私はNGばかり出して踊りに身が入りませんでした。あせればあせる程ミスばかりでスタッフも心配した事と思います。時間だけがどんどん過ぎてゆき、未消化のまま本番をむかえたのです。楽屋でお客様が入場するモニターを見ながら、私の緊張感はピークにたっし、「踊れない!私、帰る!」と騒いで鴻池さんを困らせました。そんな事できる訳がありません。その日の出演者は2人だけでしたから、私が踊らなければコンサートは中止になってしまいます。しかもオープニングは私のオリとチャントです。鴻池さんも私が初めて見るくらい緊張していました。とにかく、「やるしかない」という事で2人でステージに向かう階段を降りていきました。ステージのソデに1人で立った時、私はタバサを呼びました。「タバちゃん、おいで。ママが間違えないように守ってね」心からタバサの霊に話しかけたのです。あんなにリハで間違えてばかりいたのに、本番では一語一句完璧に声がでました。
その日は1人で14曲も踊る為、リハではあせって着替えに時間がかかったりしていたのに 本番では落ち着いて何のミスもありませんでした。
2曲ほど踊ってだいぶ緊張感も薄らいだ頃、始めに楽屋入りした時の「不思議な空気」が益々強くなってきました。通常下手で着替えて下手から出ていたのですが、舞台監督から「たまには上手からも出てね」と言われていたのを思い出し、私は上手に回り、自分の出番までソデの床にそのまま座りこみ、鴻池さんのスラッキー演奏を聞いていました。通常、舞台のソデにはスタッフがウロウロしているのですが、その時は私1人で誰もいませんでした。そこではヒンヤリとして限りなく孤独を感じさせる空気が私を包んでいました。
下手側からの照明が鴻池さんを照らし、ステージのホコリがキラキラと舞ってすごくきれいでした。すぐそこには鴻池さんが、その前には200人以上の人がいるのに、私1人がどこか森の奥にたたずんでいるような、湖の上に浮かんでいるような気分でした。どこからともなく、私の心の中に「踊りなさい」「踊ってみせてあげなさい」という声が聞こえました。その声は更に「もっと多くの人に踊ってみせてあげなさい」と言ってきました。
耳の錯覚、気のせい、そうかもしれないけど私にははっきり聞こえました。(聞こえるというより心の中に入り込んできたという感じです)それから何曲も何曲も踊ったのですが、少しの疲れも感じず、生まれて初めて「フラを語る」事ができたのです。
あんなに穏やかに落ち着いて愛を感じながら踊れたのは初めてです。
リハーサルの時はつまずいてばかりいてクタクタになったのに、本番では楽しく幸せでした。
最後の「アロハオエ」の時、鴻池さんがタバサの事を話してくれました。おそらく見に来てくれた私の生徒のほとんどは初耳だったと思います。時を同じくして鴻池さんのファンの方の一人が亡くなられた話もありました。その方もタバサも会場に来ていたと私も鴻池さんも感じる事ができました。「ここにいるであろう1人と1匹の魂が安らかであれ」と私達は一生懸命踊り、歌いました。鴻池さんは泣きながら歌い、私は泣きながら踊りました。私の腕はタバサを抱きしめる事ができました。しっかりとタバサを抱きしめ踊ったのです。
客席のお客様も泣いてくれたそうです。きっとあの会場にいた全ての人の心が「ひとつ」になったのですね。
その夜、「もう踊れない」と考えた事をすっかり断ち切りました。
私は踊り続けていきます。私が踊る事で感動し、癒される人が1人でもいる限り踊っていきます。

このコンサートは大好評だったので これからも続けていこうと鴻池さんと話しています。もっともっと勉強を重ね、練習を積んでいつか又やりますので待っていて下さい。

「HULAは踊ってみせるもの」「見ている人を幸せにするもの」生徒のみなさん、これが私のメッセージです。くれぐれもその逆にならないように・・・

可愛いタバサの写真を載せます。

タバサを覚えていてあげて下さい。ミルキー同様タバサは私の宝物でした。

 

 

中村タバサ    平成9年10月30日生まれ 13年1月20日 雪の降る日に天国へ

 

タバサはおとなしくて家族想いのビーグルさんでした。 
食べる事が大好きで いつもお腹を空かしていました。

タバサは少しオデブさんでしたが、やさしいビーグルさんでした。
ある冬の雪の日に タバサは天国へ旅立ちました。

可愛いかったタバサをどうか忘れないで・・・

雪が降ったら ほんの少しでいいから
タバサを思い出してあげて下さい。

天国でタバサの魂がやすらかでありますように 私と祈って下さい。


                       2001217  ククナオカラ中村

 

2001 2 9 鴻池さんとの二人コンサートより
2001 2 9 鴻池さんとの二人コンサートより

ひとり言 01 12 07

先週は「コンピューターウィルス」騒ぎで大変でしたが、ここ2,3日は数も減って少し落ち着いています。掲示板にしつこく書きましたが、パソコンを使っている皆さん、充分に自己管理をお願いします。

さて、クリスマスパーティーがいよいよ来週になりましたね。今回はどんな会になるかしら?今から楽しみです。それに今回は290人の生徒さんが集まってくれるのも、とても嬉しく思っています。
思い起こせば私が教え始めた頃、5,6人の生徒さんしかいませんでした。発表会やパーティーをしてあげたくても、その人数では何もしてあげられませんでした。それが今はたくさんの生徒さんに囲まれて幸せです。その頃からずっとそばにいてくれるマルヒアには心から感謝しています。本当に苦労をかけたなぁとつくづく思います。もちろん今私を師事し、ついてきてくれている大勢の生徒さん達にも同じように感謝しています。ありがとう、みんな!!

「先生」というのは難しいものだと思います。ただフラを教えるだけではなく、私達を取り巻くさまざまな問題をも解決していかなければなりません。人間同志の複雑な感情をコントロールしながら、良い方向へ道案内もしなければなりません。まだまだ私は未熟です。そんな私を支え、力づけてくれるのは、毎週笑顔を見せてくれる生徒さん一人、一人です。これからもよろしくね。(今日はいつもと違いしおらしいですね)
「や~ね、いつもの先生じゃない」って笑いながら読んでいる皆さんの顔が目に浮かびますよ。
大丈夫、又お稽古ではいつものようにワーワー言いますから、ご心配なく。
とにかく、あと1週間でパーティーです。皆さん風邪などひかないように、健康管理をよろしくね。元気で楽しく踊ってくださ~い。

ひとり言 2001/11/20

<近況報告>
こんにちわ、しばらく更新しないでごめんなさい。実は10月の初めに新しいパソコンに入れ替えたのですが、その子がちっとも言う事を聞いてくれなくて、又入れ替えるというアクシデントが続きデーターを入れたり、出したりして時間を費やしてしまいました。まあ、今回は大丈夫そうです。

<Party>
最近の各クラスは、12月16日のXmasPartyに向けてのレッスンで盛り上がっていますね。年に一度のスタジオ忘年会なのですが、年々参加者も増えて嬉しい限りです。いつも思うのですが、皆さんどこできれいな衣装を探してくるの?このクリスマス会は自分の好きな服装でいいのですけれど、毎年皆さんのムームー姿には関心します。華やかでとてもキレイ・・・女性は幾つになっても「美」を追求していかなくてはね。そう考えるとHulaって本当に自分発見になります。「きれいな衣装を身に着ける」「お化粧をして髪に花を飾る」「女らしくやさしく踊る」自分が女性に生まれて良かったと思いませんか?早く16日が来ないかなぁ・・・きれいなみんなを早く見たい!ステージで振りを間違えても気にしないでね、だってパーティなんですから。しかもみんなウチのスタジオの生徒さんだし、楽しみましょうよ。
今年は初めて参加するクラスもたくさんあるので、先輩方よろしくお願いしますね。

<声帯様ポリープ>
私の喉について色々ご心配かけました。完治にはまだまだですがとても良くなりました。大きい声を出したりするとまだ痛いですが、もう大丈夫だと思います。お稽古中に私がコーヒーを飲んだり、飴を舐めていても許してね。お稽古していると、喉がくっつくような感じになるのです。実際に何も喉を潤わさないで1時間お稽古すると、喉がとても痛くなるのです。ご容赦を!

<冬休み>
私自身は12月23日~新年8日までお休みを頂きます。ちょっと長いですが、これもお許し下さい。発表会の準備も兼ねて2週間ほどハワイで過ごします。ハワイからこのHPを更新しますのでお楽しみにね。ハワイ情報もお知らせしますので・・・

ひとり言 01・10・20
  

すっかり涼しくなってきました。(寒いくらい・・)皆さん、お元気ですか?
9月22日のコンサートが終わったと思ったら、もうクリスマスパーティーの準備で相変わらずバタバタしている私です。毎年参加クラスも増えているので下準備も結構大変なんです。でもみんなが楽しみにしてくれているし、一生懸命レッスンしてくれているので、それを励みに私も頑張ります。
最近フト考え込む事があります。それは「フラを教える事の難しさ」についてなんですが、その基にある「クラス編成」の事です。私が育ったハワイのスタジオでは毎年<ウニキ>という日本でいう発表会のようなものがあり、そのウニキ後に次の1年のクラスが決まります。つまり、完全に実力の世界です。ですから去年は自分より下のクラスにいた人がウニキが終わったら同じクラス、もしくは自分より上のクラスになったりするのです。しかも、お稽古時間も曜日もクムの決めた日になるので「その日は仕事が・・」なんて言えないのです。日本と比べとても厳しい環境でした。日本ではそんな事、絶対できないですよね。だって日本のフラブームはカルチャーチックなところからきているし、生徒たちも「厳しさ」より「楽しさ」を求めているもの。私は基本的にはそれでいいと思っています。楽しくなければ続けられないし、「厳しい」より「楽しい」方がいいに決まってるものね。ただ、同じクラスの中にそれぞれ違う考えの人がいると・・やりにくいです。一応私のスタジオでは、外部のクラスとスタジオとはきっちり分けて考えてもらっていますが、それでもまだまだ甘い考えの人がいます。スタジオでやる以上「どうにかなる」はありません。全て自分の努力、精神力、向上心がものをいいます。それは他のカルチャースクールでレッスンしていても同じですが、スタジオでは更にそれを求められるのです。それでも私はよっぽどの事が無い限り、「あなたはスタジオを辞めなさい」とは言わないので自分のジレンマは続くのです。あ、この話は生徒達の問題ではなく、私の問題なので気にしなくても大丈夫ですよ。ただの<ひとり言>ですから。

 

もうひとつ<最近思う事>があります。これは私にとって嬉しい事です。
いつか「ククナオカラコミュニティー」にも書いたのですが、ウチの生徒さん達は年齢に関係なくパソコンを操り、このHPを見てくれています。特に嬉しいのは「熟年」といわれる年代の生徒たちがメールをくれたり、書き込みをしてくれたりする事です。このHPの「Hula大好き!」への投稿もそうです。私は独学でパソコンが使えるようになったのですが、すごく苦労したせいか「みんな偉いな、すごいな」って感心しています。つい先日も73歳になる生徒が「先生にメールができるように・・」とパソコン学校へ通い始めたと聞きました。何事にも興味を持ち挑戦するってステキですよね。フラを続けるにはこの<興味への挑戦>は絶対必要です。身の回りの出来事にもっと敏感になって下さい。どんな事でもフラを踊るのに<無関係>な事はないと思うのです。
では、12月のクリスマスパーティーでの皆さんの素晴らしいフラを拝見するのを楽しみにしています。


ひとり言 01・9・5


突然声が出なくなって1週間。今は大声は無理だけど少しの時間なら声も出る。前よりもっと低く、かすれてはいるけれど・・・
やはり声が出ないというのはかなりつらいものだ。お稽古の時にとても不自由を感じる。とっさに注意が出来ない、歌いながら教えてあげられない、カウントを言ってあげられない等々。今までレッスン中にどれだけ声を張り上げていたのか改めて知った。それに、フラってやっぱり歌詞を口ずさみながら踊るものなんだなあとつくづく思う。歌う事によって内容を確認して、表現するものなんだって。私がいつも皆に言っている「歌詞を覚えなさい」「順番で覚えるのではなく、言葉で振りを覚えなさい」というのは間違いなかった。
よく質問する時、「あそこのここは・・」と言いながら両手をバタバタする人がいるけれど、それじゃダメ。まず何を質問しているのか私には分からないし、必ず「2番のKa Puaのところは・・・」というように歌詞を言ってもらいたいです。まったくの初心者ならともかく、2年以上フラを習っている人ならそのくらいはお勉強しなくてはね。よく「先生の説明はわかり難い」とも言われるけれど、歌の内容が分かって、じっと私を見ていれば理解できますよ。技術は習っている年数に比例して自然についてくるものだけど、フィーリングは歌の意味をしっかり頭に入れておかないと表現しきれないよ。
私の声はまだまだ元には戻らないから、各クラスの皆が代わりに歌ってくれるとすごく助かるんだけど。この機会に今習ってる曲の歌詞を覚えてね、私からのお願いです。けれど、皆に迷惑をかけている事は深くお詫びします。ごめんなさい!
やっぱり禁煙かしら・・・(..)

ひとり言 01・8・13

私は1日24時間のうち、15時間はHULAに費やしている。体は踊っていなくても、常に頭の中でHULAに関するあらゆる事を考えている。
たとえば、目に写る色彩を見ては衣装のデザイン、色を連想して、テレビを見れば役者や歌手の動きに見入り、季節の移り変わりの中での植物の生態には敏感だ。こうして20年近くをHULA一色で過ごし、もはやHULAは私そのものになってしまった。人はそれを「天職」とかいうけれど、そうだろうか?私はそれよりももっと「因縁」じみたものを感じるのだけれど。おそらく遠い祖先の血だろうと思う。何かのいたずらで日本に生まれたけれど、何百年の昔にはきっと南太平洋のどこかの島にいたのだろう。多分、私の回りにいるHULA好きの人達も昔、昔はどこかの島で過ごしていたに違いない。そう考えると楽しいね、HULAを通じて又会えたのだから・・・。
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Copy light by Kukunaokala Hula School
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